富田俊明の日記
by izuminohanashi
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colors & memories in an Oriental-style folding case
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やった~、ついに、で、でけた~。
うれしいので、違う角度からしつこくもう一枚。
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これは、帙(チツ)という、書物を保管するケースである。
初めて作ったんで、いろいろと粗はあるけど、
ま、こいういうのは作るほどにすっきりとしていくでしょう。
もう何年も、こういうものを作って、これまでの旅のノートや、
95年の最初の個展「水源への旅」で展示した写真を綴じた本を入れる、
ぴったりしたケースを作りたいと思っていたんだけど、
1か月ぐらいまえから、またむくむくとこの思いが湧いてきて、
数年前に偶然手に入れた『本の作り方』(主婦と生活社、昭和54年)って本を、
のべつ眺め始めて止まらなくなったんで、こりゃ、作ってしまわないとこの熱は治まんないぞ、
ってわけで、先週からいろいろと揃え始め、
いろいろと試作して、
昨日やっと、こいつを作ってしまったわけ。
ちなみに、これは「四方帙」という形にした。
旅のノートは、ところどころ落丁しそうに年季が入っているし、
いろいろと挟んであるものが落ちないように四方から包めて、かつ取り出しやすいように。d0142121_23172655.jpg
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いや~、ひっさしぶりに手を使ってモノを作ったんで、
楽しい楽しい。いいリハビリだった。
こういうモノは、一度始めると止まらないもので、
今日は、これに附ける「爪」を探しに町田の「東急ハンズ」に出掛けた。
ついでに、まだ貼っていない裏張りの紙も、「世界堂」で見繕ってこよう。

なんか、いい天気だったな今日は。
駅への道すがら、中央小学校が管理してる森があって、
今日は一段と明るく色づいていたので、思わずパチリ。d0142121_2318274.jpg
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それにしても、東急ハンズ、近くなって便利になったなぁ。
フロアが減って、品揃えも少なくなったようなのが、ちと気になるけれど。
2フロアあって、実際、素材や道具を扱ってるのは上階の方だけだし。
でも、ありました! ボタンコーナーにありました。
しかも、白だけじゃなく黒もあるぜ。こりゃ予想外。
しかも象牙。ホントかな~。い、いいのかな~。黒は水牛とかの角かな。
安価なプラスチックでもよかったのだけど、そういうのは無いらしく、
いかにも自然素材の、微妙に違う色を楽しんで選ばしてもらいました。

そうそう、ここで偶然、以前派遣先の職場でお世話になったKさんに呼び止められた。
気は優しくて力持ちを絵にかいたようなKさん、バドミントン同好会ではよく遊んでもらったな~。
今日は、息子さんと一緒。噂通りおっきい子だったけど、なんか、目で挨拶してきて、
なかなか愛嬌のある子だった。お父さんと一緒に、なんか作るのかな。
ゲームばっかしてるって聞いてたのにな。
この一年の研修で出かける以前、数年にわたってお世話になった場所だったので、
最近時々懐かしく思い出していたので、しみじみとうれしい再会だった!

さて、帰ってからまた続きを。
奈良の興福寺などの国宝や重要文化財を修理していたという池上幸二郎さんの本。
昔風の職人気質が文章からもビンビン伝わるんだけど、
こういうのは、やってみないと分かんないことがたくさんある。
この帙だったら、芯ボールの重なりとか、図面に詳しく出ていない工夫が必要だったり。
図版のディーテールを食い入るように見たって分かんない。
この爪も、東急ハンズのはやたら丸っこい形だし、やってみたらブカブカ、ってことも。
でも。なんなくできちゃった! これはほぼ書いてある通りだった。
これがつくと、やっぱり見栄えが違うし、きちっと締まっている感じがとてもよい。d0142121_23195925.jpg
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生成の綿帆布にぴったりの裏張りの紙も見つかったのは予想外の収穫。
(今は)とても満足。
照りのよい黒の麻布で作った方は、次回、慎重にやっつけることにしようっと。
爪もせっかく買った黒で統一するかどうしようか。
ま、たぶんそうすると思う。
へへへ。
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by izuminohanashi | 2008-11-30 23:26 | dairy
sky line
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金沢へ向かう夜。
今週から別のバス会社を試してみる。
ふと見上げると、ちょっと眩暈がしそうな光景が。
センタービルとコクーンタワー(というのだったっけ?)のカーヴが微妙にマッチしていて、
空間が妙に伸びあがって見えて、おまけに不気味な霧のような雲が街の灯に浮かび上がる。

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今日は、不室屋の雑煮。
朝に塩気のあるスープは引き締まるなー。
玄米餅の香ばしい香り。しばし癒される。

ドローイングのクラスの方は、やっぱり駆け足でやっているせいか、
なかなか仕上がっていかない。
留学へ向けてのインタヴューも迫り、いろんなプレッシャーの中、
みんなそれぞれなりに頑張ってはいるし、良くついては来ているが、
個々のモチベーションに差が出てくるのは仕方がない。

最近は、自分の受験の頃を思い出しても、
まるでビデオを再生するように、自分を外から眺めている感じになる。
乗り越えたことはほとんど意識にのぼらなくなり、どこかで自信につながっている。
思いもよらなかったこと、気づきもしなかったことは、あとでついて回る。
刈り取るのを忘れたこと、播くのすら思いつかなかった種に気づいて、
唖然とすることもあるけれど、ま、少しずつやっていこう。
その、再生する映像のなかの、一生懸命だったその時々の自分が、
少しばかりいとおしく感じるのは、
やっぱり歳をとってきたせいかな?
実感が途切れてしまうのがいやだったころもあったけど、
この頃は、こういうのもいいかな、なんて思ったりもする。

そんな追憶のなかから、学生たちにも役に立ちそうなあれこれの工夫や意識の持ち方など、
ひっぱり出して、伝えてみたりする。
もちろん、ぼく個人の体験だから、おのずと限界はあるのだけれど。
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by izuminohanashi | 2008-11-26 21:30 | dairy
turmeric, the yellowish bitterness
バイト先のお得意さんが持ってきたというウコン。
サツマイモや柿の時はいっつもすぐなくなるのに、
ウコンは全然売れない。
半分持ってっちゃっていいわよ、と言われたので、
喜んで頂いてきた。

連休明けの火曜も休みにしてしまって、時間もあるので、
今日は、いつものカレーにたっぷり入れてやろうと、
片手いっぱいのウコンをすりおろす。
明るい黄色から鮮やかなオレンジまで、
その発色の良さに感嘆しながら、
その苦さには全く注意を払っていなかった。
まぁ煮れば大人しくなるんじゃないかと。
とんでもない!
すげ~苦いぜ~!
しかも加熱しても全然変わらないんでやんの。
だって粉末状のやつは、そんなに苦くないじゃん!

いや~、慣れない食材は、慎重に扱った方が良いですな!
参った参った。
喜んでるのは我が肝臓だけであった。d0142121_22253739.jpg

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by izuminohanashi | 2008-11-25 22:12 | dairy
on CCD
昨日は、CCDセミナーの埼玉セッションまで足を延ばした。
今日とちがって、とってもいい天気だったなぁ。
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さて、ちょっと気づいたことがあったので、
メモ程度に残しておきたい。

神奈川セッションから引っかかっていた、
「アーティストはファシリテーターであって、
自己のヴィジョンを実現するのではなく、
主役である参加者の自己実現に寄与する」
ていうところ。
「ああ、また部外者として外に押しやられてる。」
そう思った。
なぜ引っかかったか、気づくと同時に、
これまでぼくにとって大切だったことも見えてきた。

要するに:
主体性を持って(自分のこととして)関わる、
自律・自立的であること、自尊・自決、
ということ。
受けてきた大学教育を振り返れば、
美術界の理論や流行やなんかが重要で、
学生個人の持つ世界は常に2の次だった気がする。
つまり、自己が疎外されている状況。
これまでずっとこだわってやってきたことは、
そういう場所に別れを告げて、ひたすら自分を取り戻す道行だった、
ということに思い当った。
なぜ、極私的な表現から、他者とのワークへと拓かれてきたのか、
正直よく分かっていなかった(なぜならそれは直観的なものだったから)。
でも、それはこういうことだったんである。
創造行為の中に自分自身を取り戻すなかで、
そうすればするほど、他者というものがくっきりと立ち現われ、
必然的に対話が始まったのだと。
そして創造性は、個人に所属できるほど小さなものでも固定的なものでもない、ということも。
だから、ぼくにとっては作品というオブジェは存在せず、語り手と聞き手と物語の生きた空間が、
そしてイメージそれ自体の作り出すコンステレーションが、ワークスペースとなってきたのだ。

そういうわけで、なぜエイブル・アートなのか、なぜ障害者なのか、
またその支援者たちが、障害者中心ではなく、すべての人々、と言い換え始めているのか、
ということも、腑に落ちるぼくなりの解釈が成り立つようになった。
ぼくが思うには、これは、
全ての人(all kinds of people)が、
主体性・自律性を自分の生活の全領域に取り戻す、
というプロジェクトなのだ。
(まるで、ユングの「個性化の過程」みたいだ)。

そこで、アートが要請される、というのは当然である。
ただ、ここでいうアートは、商業ベースのアートが消費しているようなタイプではなくて、
人間が人間になった瞬間からあったような創造性そのもののことである。

これまでこのように歩いてきたことも、いま考えていることも、
すべてその中に、このような意味が隠れていたし、
それに惹かれてここまできたのだと。

パネラーの一人が概説していたように、
日本は80年代以降、個人主義が浸透し、考え方が多様化したのかもしれない。
しかしその「個人」というのは、本当の意味での「個」であったのか?
それは本当の多様化だったのか?
ぼくには、むしろ「個」を阻害する過程だったようにしか思えない。
このマーケット主導の社会と消費者意識のメカニズムは疑問の余地もないほどに当たり前のものと受け止められている。習慣化してしまって強制されているとも気づけないこうした考え方が、何よりも「個」を阻害し、そこから発生する創造性を枯らしている。
(考えてみれば、消費者意識ほど非創造的で貧しいものはない。そこから生まれるのは、クレームをつけることだけだ)。

あ~あ、また難しくなったけど、そんなことを思った一日であった。
いずれもっと分かりやすくまとめてみよう。

それにしても、降ってるなぁ。
なちゅフォトのオフ会で撮影に行った人たち、大丈夫かなぁ。
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by izuminohanashi | 2008-11-24 18:49 | community arts
on community arts
今日は、女子美の相模原キャンパスで開かれた、
CCD(community cultural development)のセミナーを聞きに行った。
そういえば、高校はこの近くだったのに、
このキャンパスに足を踏み入れたことがなかった。
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内容に関して、思ったことをメモ程度に書いておこう。
まず、今年8月までけっこうがんばってリサーチしたのに、
CCDの存在を知り得なかったことにショック。
オーストラリアはNSWのCCD専門家のプレゼンによれば、
こうしたコミュニティ・アート実践の始まりは、やはり60~70年代のカウンターカルチャーの影響が大きく、(ヒッピーの街として有名な)Nimbinのアクエリアス・フェスティバル(いかにもヒッピーなネーミングだ!)がその嚆矢と言えるという。
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その後、80年代に盛んに使われたコミュニティ・アートという言葉は、
その対抗文化のニュアンスを持つため、政府関係者により抵抗なく受け入れられる新しい言葉が使われるようになった。それがCCDである。
そして、これはオーストラリアの多文化政策と密接に関係している。
理念的な部分には賛同するし、政府にこうした活動を支えるボディがあり、
活動が持続していることに、とりあえず感心する。d0142121_22234777.jpg

ただ、印象としては(したがって印象にすぎないが)、
トップダウンになりがちではないのか、ということ。
名前を変更していく中で、何かを取りこぼして来ていないかということ。
シドニーで、アート関係の友人知人に聞いても、CCDの名前が出てこなかったあたり、
かなり棲み分けが進んでしまって、別分野としてリンクがなくなっているのでは。
シドニーで出会ったTobyの話などからすると、
本当の草の根の活動家やアーティストから場所を奪う形で、
現在オルタナティヴとされる場所が立ち上がってきている。
そういう意味では、establishmentsによるinstitutionalizetionが、
こういう草の根を断ち切って、アートとコミュニティの繋がりを、
どこか飼い慣らされたものにしていると言えなくもない。

そうした思いはあるが、一方で、こうして制度化されたお陰で、
今日も、利益優先、強者優先になりがちな社会をうまくバランスしているわけで、
またその理論は誰にでもわかりやすい。

ひとつ気になったのは、コミュニティ・アートにかかわるアーティストは、
あくまでファシリテーターに徹するべきで、主役は市民である、
アーティストは自身のヴィジョンの実現ではなく、このことを意識すべきである、という点。
本当に、そうなのかな?
それはどんなアーティストなのか、またどんなヴィジョンなのかによるのでは?
自分のヴィジョンをわきに置いて関わるアーティストより、
むしろ自らのヴィジョンにコミュニティとのワークが避けられない、
というようなアーティストもいるのでは? と思う。
つまり、それはぼく自身のことなのだが。

他のパネラーの話からは、
たとえば、政府にどう提言していくかという点、
オーストラリアのCCD関係者のプレゼンとも呼応して、
日本でも文化政策の重要性が認知されていけばいいと思うが、
10年か20年かかるという意見も。
(たしかに。マンガおたくの首相にも、あまり期待はできそうにないし。)d0142121_22241952.jpg
あと、コミュニティ・アートの活動が、オブラートに包んだようになりがちだが、
そうではなくて、むしろ新しい実験的なアートの形が生み出されるような、
ラディカルで刺激的なものが生み出されてこそではないか、
またアーティストが自身の軸をブラさずに参加者と向き合うことの意味は大きい、
という発言には、とても共感した。d0142121_22245514.jpg

多勢に阿ったり流されたりするようではいけないなと。
そこは、やはりファシリテーターとしてだけではなく、あくまでアーティストとして
ヴィジョンとクオリティの追及があるのがよい、と思った。
ただ、特に日本などでは、クオリティなどというと、結果物としての作品とか、
参加者にどれだけアピールしたかとかいう即物的即効的なレベルでしか考えられないきらいがあるが、そこはもっとプロセスとか時間を経て継続するうちに出てくる意味とか力とかにおける肉眼では見えないクオリティが重要だということを強調したい。
そしてそれを見抜き追いて行く能力はやはりアーティストの力なのだと思う。

大学における実践として、キャンパス外にサテライトを設けての実践の紹介もあったが、
大学による、教員と学生のための、教育上の実践という側面が強かった気がする。
(あくまで印象。芸大でも同様の実践があるが、これも、アーティストのため、そして大学のためという印象。大学という場所の中にいると、やはりそういう発想になっちゃうのだろうか)。
もちろん、地域社会にとって大学を抱えるということは大きいし、
内外に開いて交流を広げるという意義は大きい。
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ぼくは、コペンハーゲンのYNKBのことを思い出してしまった。
フィンはアカデミーで教えていたが、YNKBの活動はあくまでフィンとキルステンの信念に基づいており、現在はメンバーとして学生も参加しているが、大学という現場を意識しているわけではない。もっと広く社会の中での芸術の果たすべき役割を追及しているのだ。
YNKBがあるエリアは中流以下の層が暮らす移民の多いエリアで、
そこでのローカルな(ラジオやTVも含む)活動にとどまらず、アメリカをはじめとする外部の活動家実践家との連携、そして最近ではパレスチナに人々のための美術館を設立する活動など、
アートそのものの権利を人々に還していこうとする活動の意味を、
ぼくはようやく知り始めているのかもしれない。
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by izuminohanashi | 2008-11-22 22:26 | community arts
changing skiline
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早朝の新宿に降り立つ。
西口の空が、見慣れないシルエットになっている。
去年の夏、てっきり駐車場ができるんだと思っていた、
それは某専門学校のどデカいビルになった。
高校生の頃だったかな、ここにシティズンだったか忘れたけど、
2000年までのカウントダウンの時計がビルボードに設置されていて、
何か大きな時の流れが刻々と動くのを見て、感慨にふけったのが、懐かしい。
今はもう、時の境目の、こちら側に来ているのだから。
カウントダウン時計も外されて、スカイラインも、いつのまにか、変わっていく。
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by izuminohanashi | 2008-11-20 21:32 | dairy
@ kanazawa
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金沢は寒ぅござんした。
霙、そして雹。
朝、一瞬晴れたんでほっとしたけど、
午後も窓越しの雨音がさむ~い。
お昼は、不室屋で。d0142121_21141272.jpg
今回はカレーじゃなくて、あんかけ丼ぶり。
やさしい味だったけど、ちょっと物足りなかったかな。
でも、こういう、和のベジタリアンを出してくれる店はありがたい。
器もなかなかで、裏を見てメーカーをチェック。
しかし、この丼ぶりはぼくの手には少々デカかった。
(持ち上げて喰うな、ってか?)
店員さんが覚えていてくれて、ちょっとうれしかった。d0142121_211449100.jpg

ドローイングの授業の方は、
毎課題、大股で次のステップへ引っ張って行っているので、
なかなか大変である。
学生も頑張るので、指導が終わったのは7時。
完全にオーバーワーク。
でもまぁ、好きな仕事だし、全然苦にはならない。

珍しく、2年生たちも一緒に、晩飯に行く。
ガストはずいぶん久しぶりだ。
大学院の頃は、よくみんなで夜食をとりに行ったなー。
「目玉焼きハンバーグ」に「ラージライス」で(笑)。
しっかし、店員の態度が横柄で、本当にびっくり。
ガストって、こんな接客だったっけ?
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by izuminohanashi | 2008-11-19 21:02 | dairy
infinite shade of gray
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っていうタイトルを思い出した。
美しいポスターは、ITO誰それさん(ド忘れ)というダンサーとその影がstrikingな、
Toyo Miyatakeの写真。
リサーチのために滞在していた2001年に、
全米日系人博物館の映像制作のスタッフが作ったドキュメンタリーで、
確か賞を取ってたっけ(←ホント記憶が薄れてる~)。
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しょうもない連想だけど、今朝、起きて窓際を見て、
思わず魅入ってしまった。
墨絵のように美しい影ができていたから。
なんてことはない、昨日町田で偶然通りがかった
アジア雑貨でみつけたインド綿のファブリックをカーテン代りに取り付けただけ。
手触りと色合いが気に入ったのだけど、こんな思わぬ効果もあったみたいで、
とにかく、見ているだけで穏やかな気持ちになった朝のひととき。
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東と南に大きな窓があるいい部屋だけど、
ご近所の、時々気になるモロモロも、
やんわりと包んで、
どこか遠くの出来事のように感じさせてくれそうだ。

そういえば、今からちょうど10年前に、
中国は福建省の田舎町に滞在したときに、
宿泊先の窓からいつも撮影していた砂浜の映像をまとめたビデオも、
ちょうどこんな感じに、墨絵のような世界になった。

ところで、アジア雑貨屋のあのむせかえるようなキッツイ香の匂い、耐えられない。
古着屋も同じ。店員さんたちはあの中でよく平気だよなー。
小さい頃からキライだった、缶詰のアスパラガスか、
駄菓子屋のヨーグルト菓子の香料の匂いと同じレベルで、吐きそうになっちゃう。
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by izuminohanashi | 2008-11-14 22:30 | dairy
the birs's tree
夕方、町田の例の樹の下を通ったので、
見上げてみたら、やっぱり鳥がいっぱい。
数年前、まだ陽のある時間、ピーピーと高い鳥の声がするので、
見回してみたら、この街路樹の上の方いっぱいに、
鳥が集まっていた。
よく見たら、セキレイだった。
セキレイがこんなに群れるってことを知らなかったので、
二度おどろいた。
この寒空に、白いおなかを見せて。
なんでか奴らはこの樹が気に入っているのだ。d0142121_23142734.jpg
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オヤスミ。
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by izuminohanashi | 2008-11-13 23:15 | dairy
a green tunnel 2
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11月8日d0142121_2042298.jpg

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by izuminohanashi | 2008-11-09 20:03 | lost world of Sagami


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