富田俊明の日記
by izuminohanashi
カテゴリ:spring in desert( 11 )
suburbanites
suburbanites tend to put too much emphasis
on their outward accomplishments.
now, this creates a sense of detachment.

ennui.

very insightful. that's right.
all right. the inherent uniformity and shared ideals of planned community suggest that
the neighborhood can be psychologically analyzed as a single,
dysfunctional personality.

so we can look at the community as a single, dysfunctional personality,
dealing with sexual infidelity, indebtedness, resentment...
well, suburbanites will not only lie to outsiders,
they'll lie to each other and to themselves.

what he means is that societal norms endemic to the suburban acculturation
dichotomize exterior and clandestine protocols.

all right. deal with these people as separate elements
of one big collective personality.

Bones
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by izuminohanashi | 2013-08-27 17:55 | spring in desert
exhibition opening
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今日から、旧・若松薬品にて個展です。
明日は、朗読会と、豪華なゲストを迎えての対談。

連日準備に追われてます。

併行して、今日から集中講義。
大変だけど、こんなに仕事させてもらって、本当にありがたいです。

そして、成果はぼくのところにだけではなく、むしろ
関わってくれた人、観に来てくれた人、参加してくれた人たちに
彼らが何かをー泉の水を−持ち帰れるような機会になりますように。
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by izuminohanashi | 2013-05-31 09:51 | spring in desert
find out where the story goes
那覇市若狭3丁目にある、芸術書中心の古本屋「言事堂(ことことどう)」にて、
『泉の話』を取り扱ってもらえることになりました。
このブログにも『泉の話』の紹介があったな

美術書、工芸関連書、展覧会カタログ、建築書、写真集などの
芸術全般の古書と新刊書、同人誌、自費出版本など、
芸術全般の書籍を取り扱っていて、展覧会や朗読会などを開催されてます。

ぼくはまだ行った事がないんですよね。
まだまだ知らないスポットが沢山、沖縄。

次回は、読書会とか、何か一緒に出来ないかな、と思っています。
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by izuminohanashi | 2012-09-22 22:59 | spring in desert
on mother's day
今日は母の日でしたね。

なちゅフォトの展覧会、今日で終わりました。
4月12日の展示初日、早々に自分の展示を済ませて、
みんなのためにファイルを買いに町田に行って、
帰ってくる道で、危篤の連絡を受けたのでした。

全てが終わってしまった今も、
あの時、母が一番苦しかった時に、
傍にいてやれなかったことを、
残念に思います。
悔しく思います。


巷では、母の日グッズがたくさん目につくけど、
どれだけの人が、母、という存在について、その痛みについて、
思いを巡らせるのだろう。

ネットのニュースでは、MEGUMIが赤ちゃんを産んで、
「自分よりも大切な存在ができてうれしい」とコメントしていたけど、
無邪気なようでいて、あたりまえのようでいて、けっこうスゴイナと思って読みました。

母をなくしてみて、どれだけ母から受け取っていたかに気づくことが増えてきました。
今後も、そういうことがあるだろうと思う。
単に母だからというだけではなく、特別な人でした。

「泉の話」に詳しいけど、
ぼくの誕生と相前後した曽祖母の死を悼む母の涙も、
母乳と一緒に飲んできたんです。
しょっぱいのとあまいのと一緒に。
母の涙も、ぼくの栄養となりました。
母をとおして、母の故郷で生きてきた者たちの思い、
その者たちへの思いが、ぼくの中に注ぎ込んで、
あの涙は、今だに、深い深い淵のように、
清らかな水の滝つぼのように、渦をまいています。
哀しい者たちへの、
慈愛に満ちたまなざし。
ハートやガッツで受け止めるこころ。
土地の言葉でいえば、「めじょけね」と思うこころ。

相模原という地縁・血縁がカラカラに乾ききって粉々になった場所に生まれ育ったけど、
母の物語をずっとずっと聴いてきたぼくの内面には、瑞瑞しい流れが流れている。
いまは、この瑞瑞しさが、懐かしい。

沖縄で、簡単な呼吸法で、変成意識を体験するワークに参加したことがありました。
このとき、八重山の女性たちは、参加者みんなのシェアリングで
語られる物語に互いに滂沱していた。
人間ってこんなに涙流せるのって思うぐらい。天然でした。
まるで水の入った袋が共鳴して震えてるみたいだった。
東京で同じワークに参加したときと、全然違っていた。
あぁ、人間って、こんな能力をもってたんだ、って。
あたたかく、またすずしいそよ風が、吹き抜けていくような心地よさがあった。
母っていうのは、そういう能力がずっとずっと集まった存在かナ。
母なくしては、なにものも育ちません。

ときどき、裁判官みたいな母を巷で見かけます。
ツライね。
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by izuminohanashi | 2009-05-10 23:41 | spring in desert
i can remember him, his painting and story!
そういえば、母の告別式の時、
たくさん来て下さった弔問者のなかに、
あっと思う人がいました。

2001年に、
母校・大野台小学校で『泉の話』のワークショップをしたとき、
一緒に『泉の話』をつくった子どもたちの一人。

もう8年前なので、高校生になってるはず。
学生服に身を包んだ彼でしたが、すぐに分かりました。
当時の声や、彼が描いていた絵や、絵にまつわるストーリーも全部覚えています。
なんとなく、小学校の頃の自分を見るような思いがしていました。
7丁目の富田っていうことで、覚えていてくれたのかナ。
お母さんと一緒に来てくれていました。

とってもとっても、うれしかったです。
話をしたかったナ。
元気でやっているかナ。
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by izuminohanashi | 2009-04-30 18:13 | spring in desert
shine shine shine
大切なひとをなくしたあと、
ふと路傍の野花に“照らされる”
と書いていた友人がいました。

桜が散りきった後、
気がついたら、もう、たくさんの花花が咲いていた。

露草も、いつもの空き地に、いつのまにかまた咲いていた。
顔をのぞきこんでみると、
ちょっと傾げた顔の風情に、
あのひとのやさしく、はかなげで、
無邪気で純真な幼子のような面影を見、
“照らされる”という心もちが、すこし分かったような気がしました。

しばらくは、これらの花花に、
さびしいきもちをなぐさめてもらおう。

それにしても、青や紫はうまく写らないナ。
写真では青ざめてしまって。本当はもっとあたたかい色なのに。
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by izuminohanashi | 2009-04-17 20:11 | spring in desert
water spring & great valley
ここ数年気になっていた、体の不具合を、
近所の鍼灸師の人に見てもらいに行った。
米軍のキャンプ地のすぐそばだった。
丁寧に見てくださって、結局2時間ぐらい(!)かかった。

水滞と言って、血液以外の体液が滞りがちとのこと。
右足首を中心に、ハリとお灸をしていただいた。

そのツボの名前が、とても印象的だった。
まず水泉、そして大渓、隠白。
(ちなみに、水泉(すいせん)は内踝と踵の間、大渓(たいけい)は内踝とアキレス腱の間、
隠白(いんぱく)は足親指の爪のすぐ横に、それぞれ位置しているのだ)
自分の体に、そんな深山幽谷のような世界があったのか~と感心していると、
先生は、まさにそのとおりで、昔の人は人の体の中に大きな自然を見ていたという。
なにか、ミクロの世界に飛び込む仙人になったような気分。

それと一緒に思い出したのが、
シドニーで会うことができた、アボリジニの指導者/ダンサーとの会話。
bobbyさんというのだけど、ある翻訳された書籍にちょっとだけ紹介されていたのが、
ずっと印象に残っていて、意を決して連絡をしたら会ってくれることになった。
会ってみると、大きな人で、年齢は70近いけど、
舞台に立つ人らしく背筋が伸びてエネルギーに満ち溢れていた。
鷲を思わせる目と、太い声も印象的だった。
そして、初対面の、どこの馬の骨ともわからないぼくを、
一見して信頼して、気前よく開襟してくれているのが伝わった。
それはbobbyさんの静かな自信の顕れとも感じた。
bobbyは彼の人生の物語を分かち合ってくれ、また、その経験から、
内なる水を清らかに保つこと、と彼のいちばん大切な気づきを教えてくれた。
そして、説明せずとも、ぼくの「泉の話」を一瞬で理解し、
「俊、きみも自分の水を見つけたんだね、とても重要なことなんだ。ぼくもうれしいよ」
と言って、彼自身の作った歌を歌って聴かせてくれた。

今日は、そんなことを思い出しながら、
内なる深山幽谷、
内なる水の面倒を見ること、
そしてbobbyの言っていたself respectのことなんかが、
静かにこころに甦る、そんな一日だった。
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by izuminohanashi | 2008-08-28 01:46 | spring in desert
dew drops and rain drops
シドニーは一昨日も昨日も今日も雨。
今日は、たまった洗濯物を近くのランドロマットに持っていく。
こんな雨も悪くない。

  俊ちゃんが生まれてからも、、、毎日、雨が、しとしとしとしとしと、、、寒くて、
  つゆくさ、こんなに大きな株になって、、、毎日毎日咲いてたよ、、、。

  「泉の話」第二部「泉をたずねて」より

母がこんな風に語ってくれたのが、耳の中によみがえってくる。
だから、こんな風に雨だと、なにか時が重なってくるようだ。

ところで、英訳してもらった時にびっくりしたのだけど、
露草という美しい名前も、英語にするとspiderwortなんていう名前になってしまう。
露という言葉が、その花の咲く季節と、一日しか咲かない儚さを呼ぶのに。
でも、実際のところ、すごい強い草なんだよね。
大野台の、近所の、駐車場にワサワサと生えていて、
毎年何回も除草剤をまかれるのに、絶対に消えないもんね。
逆に殖えてるぐらい。
花も、最初紫一色だったのに、
株によってピンクやブルーになるのは、どういう加減によるのかな。
除草剤のせいなのか、それとも自然にそうなるのかな。
それにしても、露というイメージに似合わず、強い草なのでした。


More
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by izuminohanashi | 2008-06-05 19:05 | spring in desert
Spring in Desert
かたりの なかに よびだし
ふたたび あふれ させよう

「富田さんのなかに沙漠みたいなものがあって、
そのなかにひとつある泉みたいなものがあって、
その泉を思い浮かべるとすごいその水が青いのね、、、」

沙漠の泉のヴィジョンをきっかけに、
その泉を探し訊ねる旅のお話。
第一部は、この作品の動機となった
砂漠の泉のヴィジョンについての友人との会話。
第二部は、もともとが沼地で雨が降ると洪水になりやすかった
相模原の家周辺の土地をめぐる記憶や地名の由来について、
家族や近隣の人びとに行なったインタヴューの記録。
第三部では、こうした水と水のイメージに結ばれていく過程とフィールドワークをとおして、
自ずから浮かび上がる自己という存在の核心が語りだされる・・・・・。

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『泉の話』
目次:
泉の話
泉をたずねて
泉のほとり
著者: 富田俊明
解説: 宙水を訊ね往くひとありて 鷹見明彦
附記: 横浜トリエンナーレ2001『泉の話』のこと 富田俊明・述/鷹見明彦・記
絵: 澤登恭子
発行:CCGA現代グラフィックアートセンター / 発売:トランスアート
2001年9月/四六判(186×128mm)/並製
120ページ ISBN4-88752-150-2
税込価格:¥1,575(本体価格:¥1,500)
★本書は、トランスアート・オンラインショップのみの販売で、書店では販売しておりません。

http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/recom/0110/fukushima/kido.html
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by izuminohanashi | 2008-01-08 12:10 | spring in desert
book reading at YNKB
キルステンとフィンが、YNKBで何かしたら、と言ってくれたので、
「泉の話」の読書会をさせてもらった。

ART AFTRE WORKというプログラムの第一号。
これは、ちょうど修理が完了したYNKBのキッチンの記念として始まったプログラムで、
何か作業や仕事をみんなでやった後に、何かアートをみんなで楽しもうと言うもの。

  プレゼンテーションをするアーティストは、プレゼンテーションの前に、
  みんなのために食事を用意すること。

寒い冬には鍋でしょう!
てなわけで、ヴェジタリアン・キノコ鍋をつくることに。
先日スーパーマーケットのゴミ捨て場から集めた賞味期限切れの野菜では足りないので、
道々買い足したんだけど、白菜や大根を売っていたのには驚いた。
前回2004年に来たときはなかった気がする。
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味噌とtahini(ゴマペースト)、またはポン酢と醤油仕立てで。
真ん中に火があって鍋があって、野菜を足しながら調理するのが珍しいらしく、
合理的だし楽しいし健康的、と喜んでもらえた。
おまけに、お汁粉を作ってあげる。
餅が売ってないので、白玉を作った。
あたたかい、冬の和食を紹介できて、ぼくもうれしかった。

だけど、プレゼンの前に、食材の十分そろわない海外で大人数の食事を準備するのは結構たいへん。

さて、「泉の話」の読書会を、しかも英語でするのは始めてだったのだけど、
説明するのではなく、体験するものとして読書会を考えてみた。
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泉を探し当てると同時に、自己の秘密も探し当てたり、
描かれたイメージがその隠された意味を呼び出すくだり、
そんな不思議なプロセスを、集められた会話を通して辿ってもらいたかった。
さらに、個人的な、内面的な夢やイメージを辿る道筋が、
それらがやってくる源泉に通じていて、
そこから壊れてしまったり失われてしまったコミュニティーを、
花がひらいていくように、再生できるかもしれない、
それは外からのアプローチとはまたちがった力を持っていることを伝えたかった。
YNKBのみんななら、その価値を見ることができるのではないか。

  それを生きているモノがいるからこそ、物語が発生するんだって、、、
  物語やヴィジョンも、それを生きているものがいるから、こそ、、、ここ。
  こっちまでやってくるというか、、、。月は、向こうにある、、、本物があるし、
  だから、、、この、水面に、月をこうやって一生懸命探さなくっても、、、いいっていうか、、、
  (「泉の話」第三部「泉のほとり」より)

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なにか看板を、ということだったので、いろは歌を。
宗教は? とよく訊かれるけど、最近は、
すべて言語の中にセットされてる気がするんだよ、と応えるようにしている。
そういう意味でも、このいろは歌は、日本語のABCであり、
また日本語を操る者がどのように世界を観るかという応えにもなっている気がする。
世界はひとつの夢であり、また夢から醒めることもできる、
というのは、とても「泉の話」的でもある。

Heart Mountainの絵を描いてくれたSoerenも来てくれて、
5年前と同じように、ぼくの物語を最後まで支えてくれた。
彼が以前言ってくれたように、
ぼくは自分を物語の語り手として考えていってみたい気がしている。
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by izuminohanashi | 2007-12-10 23:36 | spring in desert


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