富田俊明の日記
by izuminohanashi
on mother's day
今日は母の日でしたね。

なちゅフォトの展覧会、今日で終わりました。
4月12日の展示初日、早々に自分の展示を済ませて、
みんなのためにファイルを買いに町田に行って、
帰ってくる道で、危篤の連絡を受けたのでした。

全てが終わってしまった今も、
あの時、母が一番苦しかった時に、
傍にいてやれなかったことを、
残念に思います。
悔しく思います。


巷では、母の日グッズがたくさん目につくけど、
どれだけの人が、母、という存在について、その痛みについて、
思いを巡らせるのだろう。

ネットのニュースでは、MEGUMIが赤ちゃんを産んで、
「自分よりも大切な存在ができてうれしい」とコメントしていたけど、
無邪気なようでいて、あたりまえのようでいて、けっこうスゴイナと思って読みました。

母をなくしてみて、どれだけ母から受け取っていたかに気づくことが増えてきました。
今後も、そういうことがあるだろうと思う。
単に母だからというだけではなく、特別な人でした。

「泉の話」に詳しいけど、
ぼくの誕生と相前後した曽祖母の死を悼む母の涙も、
母乳と一緒に飲んできたんです。
しょっぱいのとあまいのと一緒に。
母の涙も、ぼくの栄養となりました。
母をとおして、母の故郷で生きてきた者たちの思い、
その者たちへの思いが、ぼくの中に注ぎ込んで、
あの涙は、今だに、深い深い淵のように、
清らかな水の滝つぼのように、渦をまいています。
哀しい者たちへの、
慈愛に満ちたまなざし。
ハートやガッツで受け止めるこころ。
土地の言葉でいえば、「めじょけね」と思うこころ。

相模原という地縁・血縁がカラカラに乾ききって粉々になった場所に生まれ育ったけど、
母の物語をずっとずっと聴いてきたぼくの内面には、瑞瑞しい流れが流れている。
いまは、この瑞瑞しさが、懐かしい。

沖縄で、簡単な呼吸法で、変成意識を体験するワークに参加したことがありました。
このとき、八重山の女性たちは、参加者みんなのシェアリングで
語られる物語に互いに滂沱していた。
人間ってこんなに涙流せるのって思うぐらい。天然でした。
まるで水の入った袋が共鳴して震えてるみたいだった。
東京で同じワークに参加したときと、全然違っていた。
あぁ、人間って、こんな能力をもってたんだ、って。
あたたかく、またすずしいそよ風が、吹き抜けていくような心地よさがあった。
母っていうのは、そういう能力がずっとずっと集まった存在かナ。
母なくしては、なにものも育ちません。

ときどき、裁判官みたいな母を巷で見かけます。
ツライね。
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by izuminohanashi | 2009-05-10 23:41 | spring in desert
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