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富田俊明の日記
by izuminohanashi
on canvas
今朝も不思議な夢を見たので、暗闇の中メモを取る。
やっと出さなければいけなかったアプリケーションを
今朝早速メールで出して、ほっとしてから朝昼食の準備。
ここずっとベジタリアンで通している。
韓国の人たちが朝から分厚い肉を摂るのは、見るのもショック。

しばらく、主に韓国の若者との間でなじめないものを感じることもあったけど、
ここ最近、不思議と関係がゆるんできている気がする。
頭でどう考えようと、数週間同じ部屋で寝泊りすると、
こういう風にゆるんでラクになってくるのかな。
これは、アジア系だから? それとも日本人と韓国人だから?
それとも、同室の仲間のキャラクターによるのか?
結局、人間て、こんなもん? (いい意味で)。
人を厳しく見てしまいがちだったぼくとしては、なかなか貴重な体験。
宿代をただにしてもらう代わりに、レセプションを数時間やってと言われてから、
レセプショニストとして見えてくるものもある。すごく勉強になっているし、
信頼されるのはやっぱりうれしい。

今日書こうと思ったのはこのことじゃない。

Nさんから、東京でワークショップのショウケースのようなものを
やってると教えてもらって、やっと今日じっくりウェブを見てみた。
一見して、なにか壁のようなものを感じた。
デジタルメディアと児童教育というテーマがハッキリ分かるセレクションで、
会場も毎年にぎわっているよう。

CANVASというイヴェントの、アプリケーションのガイドラインを見るとこうなっている。
①まず、
   こども達にとっての、創造の場、表現の場であること
   参加したこどもたちの、創造力・表現力が刺激される、
   独自性・新規性の高いワークショップ。
②としながらも、
   短い実施時間で、多くのこども達が参加できること
   イベント当日は大勢の来場者が出展ワークショップに参加されます。
   多くのこどもたちに、多くのワークショップに参加してもらいたい、
   というイベント趣旨をご理解頂き、可能な限り短い実施時間で、
   可能な限り多くのこどもたちが参加できるよう、プログラムをご計画ください。
   *随時受付に近い参加形式で実施できるワークショップ、
   または途中参加可能なワークショップを歓迎いたします。
③となっている。そして、
   イベント事務局は出展者の皆様にワークショップ活動のための「場」を提供します。
   ワークショップ出展にかかる事前準備、設営から当日の実施・運営まで、
   出展者の皆様ご自身の資源の(人的、金銭的等)範囲内で、
   責任をもって実現できるワークショップを募集します。
ということなんである。
(Nさん、情報ありがとう! でも、感じたことを書こうと思います。)




独自性と新規性というのは、他と比べて+過去と比べてってことで、
どっちかって言うと大人の都合ではないでしょうか。
創造力と表現力はいろんな形で刺激され、
それは子供に限らず個々によって違うものです。

デジタルメディアを効率的に体験するにはいいのかな。
アトラクションに慣れているいまの子供たちには、
こういうアプローチが保護者も含めて認められやすいだろうなあ。
最新+独自+デジタル+エンターテイメントという組み合わせで、
未来の世界に順応できるのかという不安と願いにフィットしている。
別に否定はしないんだけど、すごい会場の雰囲気になるだろうな、と予想できる。

アーティストってボランティアみたいだな。
先日シドニーに来た友人とも少し話したんだけど、
アーティストの創造行為は、世の中の生産行為と次元が異なっているところがあって、
それに対する値をどうするかという基準が世の中にないこと。
時には、場所を提供して好きなことをさせてあげてるんだからそれで十分でしょう、
という考えが背後にあったりする。
日本だと、好きなことをしているんだから貧乏で当たり前でしょう、とか。
これって、じゃあまともに生活しているひとは、嫌いなことをガマンしてやっているってこと?
この考え方は、自分の人生も他人の人生も惨めにする、貧しい考え方です。

多くのこどもたちに、多くのワークショップに参加してもらいたい、
というのがイベントの趣旨と主催者が断っているように、
ここでは、効率性がより重要なのだろう。

主催者が善意で、ワークショップをする側と求める側の
出会える場所を作っていることは評価できる。
実際、毎年これを行うのは大変な労力だろう。
デジタルメディアもより生活に浸透してくるのだし。

・・・でも、ちょっとひっかかる。

ちょうどいま、6月からの調査の準備をしているところで、
国立公園やアボリジナル・ランドへのエントリーや、
より専門的なツアーをチェックしている。
そうすると、巨大な観光バスで、ざーっと名所を回るものから、
小型飛行機や4WDをチャーターして奥地まで行き、そこからじっくり歩くものまで様々。
バジェットと時間に制限がある中で、なるべく奥まで行こうと思うと、
選択は絞られてくる。

つまり、言いたいことは、
創造性というものが、もしも奥深い森で、
オープンになっている所と、特別なチャンスと許可がなければ入れないところがあり、
また経験と知識豊かなガイドに出会えるかどうかにかかっているならば、
(さもないといろんな危険を避けられなかったり、貴重なサイトを見逃してしまうように)
(ちょうどカカドゥとアーネムランドが違っているように)
そして何より自分自身の足で歩くかどうか、よいアンテナを持っているかにかかっているならば、
創造性という底知れない森を体験するには、いろんな道があるってこと。

これまで、ワークショップ等等という名の下に、
いろいろんな場所で人と関わってみて思うことは、
みんな忙しい、ってこと。
場所も時間もエネルギーも限られてる。
(最初にやった地元相模原市立大野台小学校での「泉の話」のワークショップは、
先生方の理解とサポート、同じ土地に生まれ育つものとしてのこどもたちとの
共感と直感とともに、時間の枠を超えた素晴らしいエネルギーだったけれども)

創造性はインスタントラーメンじゃありません。

例えば、より自然な食べ物は、
それ自身の時間の中で育ったり熟成していくように、
人はそれを待たなければいけないし、
それを食するときも、
ただ食欲や栄養を満たすためだけにではなく、
なにか、もっと大きなものを満たすために楽しみたいのなら、
もっともっと多くの、質の高いエネルギーと、よい場所とよい時間が必要だってこと。
ハンバーガーやチキンナゲットを幾らたくさん食べても、体が太るだけです。

饒舌さよりも、中々出てこない言葉を待つ中に、
言葉そのものよりも、語られるその間の沈黙の中に、
早く走るよりも、ふと立ち止まることの中に、
今忙しく創作している手の中にではなく、
無為としか思われない時間の中に、
それは生き生きと生きているのかもしれないのに。

そんなわけで、出前をすることはもっと控えて、
自前で、ゆったりとした場所と、奥へと続く道を提供していきたい、
というのが、いまのぼくの夢なのです。
by izuminohanashi | 2008-05-29 12:50 | dairy
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