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富田俊明の日記
by izuminohanashi
the tower, the orphan, and the black madonna
WISP最終日は、ボーリンゲンのタワーと、ブラック・マドンナで有名な
einsiedelnのヴェネディクト派の修道院へのバスの旅。
ボーリンゲンのタワーでは、ユングの曾孫さんで、今は研究所の所長(だったかな?)
をしている方からお話を聴いた。ご本人も建築家ということで、
個人的な意見も含めての話だったので、分かりやすかった。
有名なキューブ状の石の話は、とくに心に残った。
注文したサイズとはかけ離れて大きかった石が届いたとき、
ユングはインスピレーションを感じてそれを「私の石だ」と言って受け入れ、
その石に取り掛かった。
そして石に「拒絶されたもの」「孤児」として特別な意味を与えた。
この石についてのユングの言葉はすでにネットで調べたりして、
去年ここを訪れる前に知っていたし分かっていたつもりだったが、
こうして、この日、いろいろな出来事のあとでここに立って話を聴いて、
なにかこれまでと違ったものが見えた。
世界の中にいること。
そして、世界から離れること。
世界の家族の一員であることと、
孤児となってはじき出されていること。
そこに意味を与えること。
タワーの規格からはじき出された石に
詩やシンボルを施しながら、ユングは何を考えていたのかな?

これまで、内からの声であること、当事者であること、
自分を創造の中に、コンステレーションの中に含みこむことを
重大なことだと思ってやってきたけれど、
ひょっとして、自分をそこから切り離すこと、遊離させること、そこから見返すこと、
そこにぼくがこれまで分かっているようで分かっていなかった意味があるのかもしれなかった。
新鮮なショックだった。
現代の都市生活の中で、切り離されていることはその一部だし、
だからこそ、自分を何かの中に入れたり、つなげたりすることに腐心してきたつもりだったけど、
ひょっとして、切り離されている、ということには、
もっと別のレベルや、意味があるのかもしれない・・・
the tower, the orphan, and the black madonna_d0142121_1111047.jpg
このあと、einsiedelnのヴェネディクト派の修道院へ。
ブラック・マドンナの前での僧侶の歌は、ひとつの体験だった。
紫の衣を纏った黒い聖母の背景に、黄金の雲が噴出していた。
the tower, the orphan, and the black madonna_d0142121_116522.jpg

by izuminohanashi | 2008-02-23 23:48 | dairy
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