富田俊明の日記
by izuminohanashi
there are two ways to be fooled:
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There are two ways to be fooled:
One is to believe what isn't so;
The other is to refuse to believe what is so.

ついさっきUKから届いたその本の冒頭にあったのは、キルケゴールの言葉でした。
UPSからのspamメールは、この本のトラッキングだったんだな。

早速、indexとindroductionをみる。
どうも著者は、プライマル・セラピーを元に劇を作っていたみたいで、
それを映画化しているみたいですね、ちょっと調べて、可能なら観てみたい。
バース・トラウマとか、相当に深い傷を扱っているようで、
<沈黙の叫びとしての病気>などという項を見ると、心がつままれたような気になります。

***

そもそもなぜプライマル・スクリームなのかというと、
「Heart Mountain」の重要な瞬間として、<叫び>があったからです。
強烈な感情や身体を伴う体験が齎すもの。
これを効果的に利用する方法があるならば、もっと知ってみたい。
そこに「Heart Mountain」の体験となにか共通するものがあるのか。

人間には、日常生活のレベルでは、つまり世俗のレベルでは解決されない、
深い深い傷がある、ということを、より強く感じるようになったから、ということもあります。

見方を変えることで意味を変える、という穏当な方法もあるでしょうが、
痛みの核に触れていくことが、墓穴に入ってくようなことが、また別の何かを、
悪魔こそが本当の宝を押さえているとか、般若こそが大いなる智慧を持っているとか、
そういう意味で、自分の中にある悪と関わる部分と触れる、ということに、魅力を感じる。

キルケゴールの言葉は、
人間はむしろバカでいたい、
真実の醜い顔、または美しい顔に直面するくらいなら、
という意味なのかな。
「コンタクト」を観て思うのは、ぼくは体験したいってこと。
信じたり信じなかったり、解釈して傷ついたり。
でも、体験は意味や解釈にはるかに先行する。
体験のある人間は静かで、豊かだ。
体験のない人間は、貧しく、そのくせ、だからこそ、あーでもないこーでもないと五月蠅いのだ。
(体験とは、内的・主観的な体験のこと。どこへどんだけ行ったかとか全然関係ありません。)
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by izuminohanashi | 2010-05-22 13:14 | dairy
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